国宝「日本のおかん」
実家に行くと、母がエプロンをつけてお台所仕事をしていた。
母がひとり暮らしになって、ずいぶん経つ。
しょっちゅうここには来ているけれど、最近はあまり見なかったエプロン姿だ。
なんだか、いつもよりも若々しくて、懐かしくもあり、嬉しくなった。
「いいなぁ、エプロン。」
そういうと、
「そうか〜?」
と、ごく普通の返事がきた。
昭和のお母さんは、みんなエプロンをしていた。
私が育った商店街のおばちゃんはみんなエプロンのポケットに手を突っ込んでいた。
そのエプロンのポケットからは小銭も出てくるし、紙くずも出てくる。鼻紙も出てくるし、家の鍵から、飴ちゃんまで出てきた。
まるで魔法のポケットだった。
私が主婦になったのは冬だった。
そこで私もエプロンを手に取ることになるのだが、冬だったので、割烹着スタイルにしてみた。
主婦になってもまだOLさんだったので、着替える時間も惜しみ、ブラウスの袖が汚れないこともあって、の割烹着だった。
ところがこの割烹着というもの、着用してみると、なんとも温い。
なんでかわからないけど、温かった。
なので、おおいに気に入り、私のエプロン人生がはじまった。
横着な私は、どうしてもだらけてしまうのだが、家事という面倒なことを「さぁやりまひょか!」というやる気スイッチも入るのが、エプロンのいいところだ。
なので、私はおうちにいるときはほぼエプロンをつけている。
そして、私も例に漏れず、昭和のおんななので、昭和のお母さんさながらに、エプロンのまま、近所なら外に出る。
大きなポケットには小銭も紙くずも家の鍵も、そして携帯電話もいれて、だ。
先日、大きなそのポケットに町会費の明細と集金袋、ボールペン、お釣りの小銭をぜんぶいれて、エプロン姿のまま、町内をピンポンしまくった。
一回ではまわりきれず、時間差で何度かまわっていたが、数件のご近所さんに笑われた。
懐かしいといって笑う人と、「エプロンつけたままやよ〜」と笑う人。
わが家でも「集金してくる!」ってエプロンのまま出かけようとしたら、お嬢に「かあさん、エプロン!エプロン!」とあわてて追いかけてきた。
だめなのか。
エプロンのポッケはちょっとした手提げカバンのようなものだ。
ミニトートバックに匹敵する。
だめなのか。(笑)
私のいとこのお姉ちゃんも、エプロン派だ。
家にいくと100%エプロンだ。
お姉ちゃんは家の中ではいつもジャージを着て、それだけでもじゅうぶんラフで汚れてもいい格好なのに、その上にエプロンをつけている。
母のエプロン姿はじつにノスタルジックであった。
実家のお台所から立ち上る湯気を思い出す。
コンロの前に立つエプロンの紐がよれている後ろ姿まで鮮明に思い出せる。
泣きたくなるほど昭和の風景を思い出した。
「もうずっとエプロンしときや!」
と言うと、
「なんでやの!イヤやわ!」
と言った。
母の美意識は高い。
年寄りがエプロンをしてあくせく動きまわるなんて、もう嫌なのだ。
アンタはこの年寄りをまだこき使うつもりか!と言わんばかりだ(笑)
母には、その国宝級の「日本のおかん」という美がわかってないらしい(笑)
どんなドレスよりも美しい立ち姿がそこにあるかを、本人だけが知らない。
泣きたくなるような懐かしいあの風景の中のいちばん大事な真ん中の大輪の花であることを、本人だけが知らない。
いっしょに暮らそうか?と言うと、
「ぜーったいっに嫌!!!」と笑う。
アンタのごはんつくらされるのはもうたくさん!らしいのだ(笑)
ハイ、そうですかっ(笑)
7日間ブックカバーチャレンジ
【読書文化の普及に貢献する為の7日間ブックカバーチャレンジ】
1日目
【82年生まれ、キム・ジヨン】
チョ・ナムジュ
いまや、女性の社会進出は華々しく認知されている…とばかり思っていた、私が無知なのです。
82年生まれじゃ、私よりもはるかに若い方が、お国は違えど、すぐお隣の国で、女性であることに理不尽な差別を社会から当然のようにそうあるべきと受けてきた日々を淡々と私も追いかける。
「元始、女性は実に太陽であった」
という言葉をふと思い出した。
「今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である」
「家庭という小天地から、親といい夫という保護者の手から…」の自由解放。
100年経っても、まだここだったんだ…。
「優遇してくれ、なんて誰もいうてへんねん。ただ同等の扱いを要求してるだけやねん。」
なるほど、まだここだったんだ…。
女、三界に家無し
まだここだったんだ…。
以前「金子文子と朴烈」という強烈な映画を見てからずっと心に残っていた日本女性。その方の物語を描いたこの書を本屋さんで偶然みつけた。
なかなかアナーキーでファンキーな、じつに興味深く惹き込まれる本だった。
特筆すべきは、この著者の文章、口が悪い(笑)
いまだかつて、こんなに口の悪い文章を本の中に見たことは、私はない。
でも、ちっとも嫌じゃないんだ。
むしろ、爽快感すらある。
3人の主人公の女たちが吐き捨てるかのように宣うたびに、スカッとするんだ。
「よう言うた!」と讃えたくなるんだ。
虐げられている弱きは、心の奥底で毒づき、今に見ておれ…と怨念を募らせる。
その情念こそが生きる力になるのだな。
もっと口汚く罵ってやれ!と思う。
100年も前にこんなに強い女たちがいたことを知る。
100年も前に、だ。
【彼女は頭が悪いから】
かの上野千鶴子女史が東大の入学式の祝辞で述べた辛口のあの演説の中に引用されていた本。
東大生による集団強制猥褻事件をモチーフにその顛末を探るという物語
如何ともし難いこの物語を、私は、女性としての立場で読み始めたのだが、いつしか、親の立場で読み進めていた。
私には娘も息子もいる。どちらの立場に立っても同じ正義を持てるのだろうか。
もしも息子の親の立場なら、歪んだ正義を叫びはしないだろうか、と。
前にこんなことがありました。
「露出の高い服装の若い女の子が痴漢の被害にあいました。世の中の多くの人達が、露出の高い服装の女の子がそもそも悪い、触ってくださいと言ってるようなものだ」などとテレビでは伝えていた。
それを見たお嬢が私にこう言いました。
「いや、アカンやろ💢どんな服装であっても、触ったらアカンもんは触ったらアカンねん💢そんなん当たり前のことやろ💢何人たりともその人の許可なしにその人の肌に触ることは許されんのんじゃぁ💢」
まったくその通りでございます。
目から鱗でした。
また子供に教えられました。
そういう正義を持ち続けなければ、読んだ甲斐がありませぬ。
そういう本でありました。
4日目
【海街diary】
もはや……これは漫画にあらず。
これは文学です、と私は言いたい。
(どっちだっていいんですけど、ね)
心の機微とか情緒とかを繊細に描いて、美しい物語を紡いでいる。
鎌倉版「細雪」とでもいえばよいのか。
(いわなくてもいいんですけど、ね)
私は、この家の隣に住むお節介なおばちゃんになって、この四姉妹の人生の行末をずっとずっと見守って暮らしていきたかった。
完結してしまったことが寂しくて寂しくて、完全なロス、泣き暮らしております。
5日目
【いつか別れる、でもそれは今日ではない】
F
この作者の言葉の使い方がとてもよくて、立ち読みからのいきなり一目惚れ、購入を即決、夢中で読んだ。
ことばの言い回し、比喩、とにかく好き。いちいち共感できる散文。
読後、居間にポーンと投げ置かれた、この本を見て、セーネンが
「これ買ったん?どうやった?おもしろかった?これ、読みたかってんなぁ、買おうかなぁと思ってたとこや!」
と言った。
え、このセンス、やっぱりわかるんや!と嬉しくなった次第。
もとより、セーネンは、言葉の選び方とかいいまわしとかが、とても私の好むところで、なので、それはまぁそうなんだろうけど、ちょっと母と息子で気持ちが通じあったようでなかなかよい瞬間であった。
6日目
【あなたには躾があるか?】
齋藤薫
齋藤薫サマはいったいおいくつなんだろう。いつまでもお美しくいらしてその美意識の高さは素晴らしすぎる。
畏れ多いが私の心の美容番長である。
齋藤薫サマは最新のコスメも教えてくれる。でも、そればかりではない。美しく生きるための心の在り方を教えてくださる。
その教えが素晴らしすぎて、お嬢の嫁入り道具に持たせたいくらいだ。
いや、それでは遅すぎる、嫁に出す為に読ませなければ…。
いやいやいや、初恋を確認した時点で読ませるべきであった(涙)
いやいやいやいや、今からでも遅くない、まだまだ人生は長い。
あなたには躾がありますか?(笑)
7日目、最終日。
ともなれば、あのお方のご本を紹介せねば終われませぬ(笑)
あぁ、私の愛しきあのお方、大江千里サマ❤️
千里サマは、自称 引越し魔と仰せの通り、しょっちゅうお引越しをくりかえしていらっしゃったそうで、その歴代のお住まいのお話の連載を一冊にされました。
その、それぞれのお住まいの想い入れやら、事件やら、がまた愉快で、千里サマがことさら愛した日本家屋の借家の縁側でお話を聞いているかのように心地よいご本であります。
千ちゃんもたくさんご本を書かれています。
あの情緒豊かに情景が浮かぶような歌詞を描かれる人なので、物語もエッセイも素晴らしい、そもそも大阪人なのでとても愉快です。
そのどれもこれも素敵なのですが、未曾有のステイホームのいま、ホーム(家)つながりです(笑)
【読書文化の普及に貢献する為の7日間ブックカバーチャレンジ】を終えてみて。
素敵な女友だちが声をかけてくださり、わけがわからないまま見様見真似でとりあえず7日間続けてみたら、それは楽しい1週間だった。
もともと本が好きなので、本を選ぶ楽しさ、文章を書く楽しさ、なによりもバトンを受け取ってくださった方のことを書く楽しさ、ワクワクするような日々でした。
私に声をかけてくれて、ありがとう🌸楽しかった❤
「読書は『感情の経験』です。」
と仰ったのは、息子の小学一年生の時の担任の先生だった。
「おそらく一生経験しないであろう体験も読書の中で経験し、その感情を学んでいく、だから、子どもたちには本をぜひ読ませてあげてほしい!」
と入学式の後のオリエンテーションで仰った。読書、と聞けば、かならずこの先生の言葉を思い出します。
小学生だけではありません、読書量は老眼のためにガクンと減った50歳越えの大阪のおばちゃんも、いまだ、あり得ない体験を、感情の経験を、繰り返しているのです。
私は、
韓国の小さな町の住人にもなり、
100年も前の監獄の独房にも入り、
東京の街の大学生にもなり、
鎌倉の切通しを吹きぬける風をうけ、
東京タワーの下で恋をして
美容家のドレッサーを覗き
日本家屋の縁側でお茶を飲む
という七日間を過ごしたのです。
幸せな日々でした。
幸せなことなので、声を大にして言おう!
やっぱり本が好きです、私。
靄り
やはり気にしてたんだ、私。
夜中に目が覚めたとき、いつもよりハッキリ目が覚めた。
あのとき、直前の夢の中で、元夫のいまのツレアイさんの声だけが響いて、それで起きた。
あ、夢か…と闇の中で、驚いている。
夜の静寂の中で、突如として響くなんて、私の脳みそが整理できなさすぎて煙が出たということだ。こころが動揺してるってもんだ。
つまり、なんだかモヤモヤしているのだ。
このモヤモヤの正体はなに?
コロナ禍、外出自粛で、世の中は大流行のオンライン飲み会だのオンライン帰省だの…。
娘が「今晩、オトンとオンラインで話すねん」という。
ふーん、そうなんや〜、と思っただけで、むしろ、手っ取り早く面会が出来て、なるほど助かるなぁと思った。
夕食を終えたら、オトンから連絡があったよし、弟とイヌとで、イヌのいるリビングをオンライン会場にしたものだから、私は隣の和室に身を潜めた。
二階に上ろうかとも思ったけれど、なんとなく、上がりそびれて、物音も立てずひっそりと和室で携帯をいじっていた。
しばらくすると、やはり漏れ聞こえてくる会話に耳を傾けてしまう。
まぁよいか、これは盗み聞きではないし、聞かれてまずいような会話などないだろうし。
オトンとツレアイさんのはしゃいだ声が、白々しいわけでもなく、普通に楽しそうなので、ほのぼのと聞いていた。
ただ、ツレアイさんの喋り方が、私の想像していた女性像とは真逆だったことには驚いた。
なんというか強い感じの、私の苦手なタイプではあったから、オトンはこういうのも好きだったのかと守備範囲の広さに驚いたのだ。
約1時間ほど、オンライン会談は続いた。
部活のこと、就活のこと、あと、なんだったかな、他愛無いこと。
ただ嬉しそうなオトンとツレアイさんの声が妙に切なく思えて、身を潜めつつもなんかいいことをしてるような気にさえなった。
傷ついてないか、といえば、嘘である。
かなり傷ついている。
イヌまでつれて盛り上がる様子を、ひとりぼっちで耐えるのは、仲間外れにされた疎外感もあいまってポツンと、それが終わるのを身を潜めて待つという、みじめさを感じずにはいられない。
それもこれも、すべては因果応報というやつに違いない。
離婚した結果、子どもからうけなければならぬ報いなのだ、と耐えていたのだ。
たぶん、オトンはオトンでどこかでその報いをうけてきたのだろう。
今日ではない、過去のどこかで寂しい思いを噛みしめたとするなら、それが報いだ。
今日は私の番なのだ、私が報いをうける日だということだ。
オンライン会談が終わると、子どもたちは、わさわさと和室になだれ込んできた。
すると、息子が真っ先に言った。
「おかあさん、だいじょうぶ?」
「ひとりでセンチメンタルな気持ちになってない?」
なってへんよ〜(笑)と答えた。
「壁の向こうでおかあさんがひとりでセンチメンタルな気持ちになってたら、どうしようってそればっかり思ってた。」
と言った。
この息子は、そんなことを考えていたのか…
なんと、人の心の弱きに寄り添える男に育ったものかと感心した。
だいじょうぶ!だいじょうぶ!
さっきまで耐えていたみじめさが、拭い去られた。救われるようだった。
元気そうだったか?
楽しそうだったか?
と私は尋ねた。
元気そうやったし楽しかったよ。
なによりである。
それで、私の気も済む。身を潜めた甲斐もあるというものだ。
家族の形は、十人十色であるから、こうあるべきとは思わない。
ツレアイさんからすれば、好きになった男は離婚歴があり、離れて暮らす子どもがいる。
ツレアイさんにとっても、子どもたちを離れた「家族」として受け入れようとしている努力の表れでもあるし、母親にはなれないが叔母さんくらいにはなろうとしてくれているのかもしれない。
子どもたちを邪険に扱わないだけ、ありがたいことだと思っている。
しかし、だ。
なぜかひっかかってしかたないのだ。
そのオンライン会談の先の家の中に、私がいるということが、なぜ想像できないのだろうか?
コロナ禍の外出自粛の中の夜である。
同じ屋根の下に元嫁が確実に在宅している、その家にオンラインをつなげようとしているのだから、すこし考えればわかりそうなものを。
そのデリカシーのなさ、配慮がないこと、如何なものかと思うが、どうだろう。
それほどまでに、ツレアイさんのはしゃぎ様に違和感を感じたのだ。
ただ、その程度の人なんだな…と残念だった。
元夫に、ツレアイさんが出来たことを聞いたときには、幸せになってほしいな、と素直に思った。
離婚の原因は元夫にあるが、離婚に至るまでにはいろんな葛藤がごちゃ混ぜにもなり、多少は傷つけあったと思うので、おたがいさまなところはある。
なので、その贖罪も含めて、彼には幸せになってほしいと思っていた。
他でもない子どもたちを私に残して、ひとりで立ち去ってくれたのだから、なおさら、いい人が出来たらいいなと思っていた。
だから「なんだかなぁ…」という違和感だけが残ったのが残念だった。
いや、デリカシーのなさ、配慮のなさは、なにもツレアイさんに限ったことではない、元夫にも問いたい。
元夫にも、すこし考えればわかるでしょう?と、それはひょっとして嫌がらせですか?と、問いたい。
ちいさながっかりが、積み重なっていって、やがておおきな不信を生むのだな。
この夜の、ひっかかってしかたないモヤモヤはちいさな「がっかり」なのだ。
そうだ「がっかり」という言葉がいちばんふさわしい。
幸せになってほしい、ツレアイさんがいい人だったらいいな、という気持ちに対しての「がっかり」だ。
最後は「オンライン飲み会ってええなぁ、またちょくちょくしようや」というツレアイさんの言葉に「しよう!しよう!」と娘が答えていた。
「また、すんのかーい!」と、こころの中でひとりツッコミをしてコケた。
「すんのかい、せんのかい、すんのかーい」スチ子の乳首ドリルのギャグを思い出して、苦笑いした。
お正月の鬼
なんと、元旦の夜半から高熱を出して、激しい悪寒に震えておりましたら、やはり案の定インフルエンザという、なんとも如何ともしがたい…まさに目出度いが吹っ飛ぶような三ヶ日を過ごしていました。
私のまわりにはインフルエンザの噂もきかず、ましてや、私は、高齢の母とともにインフルエンザ予防接種まで済ましているし、それにあの(強さひきだす乳酸菌)ヨーグルトドリンクを毎朝欠かさず飲んでいる。
その私が、よりによって、なぜこの私が…そしてなおも重ねて、よりによって、なぜ元旦の朝に…インフルエンザになるかなぁ。
実際には、本当につらいものでした。
あの激しい悪寒は耐えがたい。全身を針で突かれているようだった。
いやそれよりも激しい頭痛、頭が梵鐘、除夜の鐘を打たれているようだった。
とにかくインフルエンザは普通の風邪とはレベルが違うのだ。
熱も最高点は39.5をマークした。
休日診療所はあいかわらずの大賑わい(?、笑)インフルエンザじゃなくてもインフルエンザにかかってしまうに違いない。
子どもたちが幼いころには何度となく来たが、まさか私が来ることになろうとはよもや思ってもみなかった。
それにしてもなんで小さな子どもは、休みの日に限って発熱するのだろう。
年末年始はいつも大混雑だ。
この耐えがたい全身を覆うような悪寒を、私のまわりでぐったりしている小さな子どもたちも耐えているのだと思うと、この混雑の一因となっているオトナのおばちゃんとしては申し訳なくなる。透明人間になりたい気持ちだ。
そして、そのあとはひたすら横になるしかない、三ヶ日寝正月となってしまった。
家族のせっかくのお正月を台無しにしてしまった。
「あけましておめでとう」の言葉もなかった。
申し訳ないの気持ちでひたすらベッドにもぐりこんで小さくなっていた。
正月二日明け方、ようやく起きてお台所にいくと、お嬢が笑う。
「かあさん、あかんな。予防接種も打っといて(強さひきだす乳酸菌)ヨーグルトドリンクも飲んどいて、毎年インフルかかってんのん、かあさんだけやで!」
へ???朦朧とする沸騰中の脳みそをかき回しながら考える。
そうだ、思い出した。
昨年もあってはならない時にまさかの罹患の憂き目にあった。
セーネンの受験の、私立入試週間スタートの朝に私はインフルエンザにかかった。
これには凹んだ。自分の運命を呪った。
あれほど「私にできることと言ったら予防接種と(強さひきだす乳酸菌)ヨーグルトドリンク!インフルエンザ対策だけは万全!」と自信満々で臨んでいたのに、まさか己がぶっ倒れるなどあってはならないことなのに。
そして、このインフルエンザがセーネンに感染るなんてことになれば、彼に合わせる顔がない。
「受験の日のお弁当さえも作ってやれないこの母を許しておくれ〜」と時代劇のようにゴホゴホ言いながら虚弱に言うと、
「かまへんで〜寝とけ!寝とけ!」とあっけらかんと言う。
感染もせず、無事に合格ももぎとり、事なきを得た感じで私の闘いは終わった。
脱線しますが、このとき、彼のお弁当の豚汁(試験のおべんは温かくて食が進むように豚汁という家ルール)をつくってくれたのはお嬢でした。
はじめての豚汁を私の口頭説明だけでつくってくれた。
よほどの出来栄えだったのだろう、階下から「天才や〜!天才や〜!」という雄叫びが聞こえてくる。「なんべん味見しとんねん」と思いながら感心していた。
閑話休題。
それにしたって、なんで、こんなハレの日に限って罹患するなんて、どんな一年になるのかしらん、と憂いておりましたら、「『今年も身体に気をつけなはれや〜油断してたらえらい目に遭いまっせ〜』っちゅう意味ちゃいまっか」と慰めていただきました。
更年期障害にはいたらずとも不定愁訴やら、ぎっくり腰以来は足腰だっておっかなびっくりでなんでもないいとこでつまづいて足が上がってへんで〜と嘆き、代謝も悪くて太る一方、肝臓も弱くなってきたのかビールも進まないし、なんといっても、とうとう逆流性食道炎ってどういうこと?
私って、ひょっとして病弱?
この健康優良児まるまる体型のこの私が病弱?
でも、ちょっと注意深く、身体にお伺いをたてながら過ごさねばなるまい、でなけりゃ、三ヶ日寝正月の意味がない!というわけで、ことしは「身体を労る」という目標で暴飲暴食(そこかよ、笑)をみつめなおしたいと思います。